お墓と私

子供の頃、私にとってお墓は、夏の暑い中、大人たちについて歩いていく場所、くらいの認識でした。

大人たちは供え物を置きながら、お墓の下に眠る人たちのことについて毎年同じ話をして、お線香を炊いていました。

私の父には弟 (私から見れば叔父にあたります) がいたのですが、14歳の若さで亡くなったそうで、父が叔父のお墓には特別の気持ちをこめてお参りしていたのを よく覚えています。

正直、お墓参りにはなんの興味もなかったのですが、親戚が集まるお盆は、同じ年頃の従兄弟たちと遊ぶ貴重な機会として楽しみにしていました。

大人になってから、祖父のお葬式に出席して弔辞を読み (予定外のハプニングで直前になっていきなり命じられたのですが・・・)、さらにその数年後、今度は祖母のお葬式に出席した際に、お墓に立ち寄ったあたりから、自分のルーツはここに集まっていて、いつか自分もここに加わるのだなぁ、とそれまで考えたこともない思いがわきあがってきました。

子供の頃、お墓参りの後で、一緒になって走り回って遊んだ従兄弟たちとも、ここで再会するのかと思うと、半ばいやいやついていったあの日の思い出もそうそう悪くない気がしてきます。

そんなことを考えているうち、それまでただの大きな黒い石にしか見えなかったお墓は、ご先祖から受け継いできた目に見えないものの象徴かもしれない、と思うようになりました。

その後、縁あってこの世界に入ってみて思ったことは、墓石を発注される方のご希望がとても細かく、しかも厳しいということ。 墓石は亡くなった方が身近に生きていた証であるだけでなく、一族の集まる場所として何年、何十年と立ちつづけるのですから、それもまた理解できます。

そして、そのご要望に応えるべく、石材業者様が日々大変な企業努力を重ねていらっしゃるということにも驚きました。デザイン面の要求を尊重しつつ、石材としての耐久性も重視した面のとり方や寸法など、見えないところまで細やかに配慮をされている姿勢には本当に驚かされました。

より忠実かつ具体的にイメージを形にする 『雅』、文字ひとつひとつに細やかな心配りを施す 『字遊字在』
この2つのアプリケーションを活かすお手伝いができるのは、とてもやりがいのある仕事だと思っています。

進藤 幹人