さらば、青春の光

強烈な西日に、思わず運転席のバイザーをおろしたタイミングで、
 
私の iPhone にメールが入りました。
 
 
「Hey, Siri メッセージを読んで」
 
 
私の要求に応え、変なイントネーションで Siri が読み上げた
 
同級生Nからのメールに、一瞬思考が停止しました。
 
 
『そういえば Bさん亡くなったの、知ってるよな?』
 
 
返信しますか? という Siri の問いかけに
 
答えることもできませんでした。
 
車を止めて知らなかった旨返信すると、Nから次の一言が届きました。
 
 
『自殺だ』
 
 
Bさんは、私やNが高校生だった頃に同じ学年だった女性です。
 
いわゆる美少女のテンプレートには少し収まらないけれども、
 
それが逆に親しみやすさを感じさせてくれ、とても明るくて前向き、
 
誰に対しても差別しない… まるで、マンガのヒロインのような人でした。
 
 
卒業アルバムの個人写真でただ一人、ピースサインを出していたのを覚えています。
 
本来なら撮り直しになるところですが、彼女はなんというか
 
それが許されてしまう空気を持っていたように思えます。
 
 
こんな女の子が実在する!
 
 
私は当時、彼女の存在自体に驚き、同時に仲良くすることさえ
 
なんだかもったいないとさえ思っていました。
 
恋愛感情とは程遠く、友情でもなく、本人に届かないくらいの
 
微かな憧れを抱くだけで充分だったのです。
 
 
その後、Bさんの人生に何があったか、私はわかりません。
 
 
友達をたどればいくらか知ることもできるでしょうが、
 
そこに何か意味があるとも思えませんでした。
 
ただ、彼女が内にもっていた強さが、
 
自らの死に向けられてしまったことがとても悲しく、
 
Nに向けて書きかけたメールを削除して、私は次の訪問先に向かいました。
 
 
祭りの帰り道。
 
 
青春時代という 愚かで無駄だけれども 輝いていた日々。
 
そんな祭りの場で 遊び疲れた帰り道。
 
足元を照らす灯りもなく、一緒にふざけていたはずの友達も
 
いつの間にかいなくなり、あちこちでつまずき転ぶ 長い道。
 
それでも、振り向けば 遠くで花火がほのかに空を明るく染めて、
 
かすかに聞こえてくる囃子や太鼓を頼りに引き返せば、
 
いつだってあの時間はよみがえる…
 
 
根拠のないことを心のどこかに置くことで、
 
私は心細い道のりを歩くことができていたのかもしれません。
 
 
Nからのメールで振り返ってみれば、
 
祭りがあったはずのところには 光も音もありませんでした。
 
 
祭りは終わって静まり返り、青春の日々という言葉は特別な輝きを失って、
 
過去を示すあらゆる言葉の中に埋もれていたのです。
 
 
「どうもお世話になります。 後藤商店です!」
 
 
いつもと何も変わらない挨拶で。いつものように。
 
暗い道でも歩いていけばいずれどこかに着くのだから。
 
 
Bさんのご冥福を心からお祈りします。
 
進藤 幹人
 
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